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アウン・サン・スー・チーさんと親交を持つ日本人夫婦が、知られざる横顔を語りました。

Written By Ngakawa Kyaw on Monday, March 26, 2012 | 6:29 AM

 3月25日(日)18時52分配信
ミャンマーでは、4月1日に議会の補欠選挙が行われますが、民主化運動の指導者、アウン・サン・スー・チーさん(66)の当選が確実視されています。
35年来の親交を持つ日本人の夫婦が、その「知られざる横顔」について語りました。

京都に住む、大津定美(さだよし)さん、典子さん夫妻。
アウン・サン・スー・チーさんとの出会いは、1975年、留学中のイギリスだった。
アウン・サン・スー・チーさんは、イギリス人の夫、マイケル・アリスさんと、幸せな結婚生活を送っていた。
定美さんは「(出会った当時のスー・チーさんは?)献身的な母親であり、奥さんであり」と話した。
典子さんは「身ぎれいで、きちっとしています。だけど、お金がないから、自分で(服も)作るんですね。だから、あの人の財産はミシンでしたね」と話した。
1985年、アウン・サン・スー・チーさんは、日本に戻った大津さんたちと交流を続けながら、京都大学の客員研究員として、半年間、日本に滞在した。
京都大学には、アウン・サン・スー・チーさんがかつて通っていた研究室「東南アジア研究所」が今も残っていて、その部屋には、アウン・サン・スー・チーさんの名前がつけられている。
日本とも関わりの深かった父親のアウン・サン将軍について、京都大学で研究する中、在日ビルマ人たちが、「ビルマ建国の父」と言われた将軍を熱烈に支持し続けているのを目の当たりにして、大きな影響を受けた。
典子さんは「(来日して)スーは、すごく変わりました。それはやはり、周りにいたビルマ人が、単なる『主婦スー』じゃなくて、『アウン・サン将軍の娘のアウン・サン・スー・チー』だというふうに扱ったんです。(彼女の)政治的な芽生えは、やはり日本。京都であったと思います」と話した。
アウン・サン・スー・チーさんは、1988年に帰国し、民主化運動に参加。
しかし、軍事政権によって、あわせて14年もの間、自宅に軟禁され、イギリスに住む夫や息子たちとも離ればなれになった。
1999年には、マイケルさんが、がんで他界した。
みとれなかったアウン・サン・スー・チーさんは、大声で泣いたという。
典子さんは「どんなにしんどいものを彼女が抱えてきたか。政治から、国民の重みから、家族の重みから...」と話した。
アウン・サン・スー・チーさんは、2010年にようやく解放された。
2012年1月には、ミャンマーで大津さん夫妻と、26年ぶりに再会した。
典子さんは「(スー・チーさんは)日本食が非常に好きでね。まずウナギ。お土産のウナギを渡したら、こういうふうに抱いて、うれしそうにするの。『あなた白いご飯ある?』って言ったら、『オフコース(もちろん)!』って言うのよね」と話した。
大津さんたちは、アウン・サン・スー・チーさんの軟禁中も、マイケルさんら家族と交流を持ち続け、その間にあった家族の出来事をつづって、彼女にプレゼントした。
典子さんは「(マイケルの)お葬式の様子から、子どもが恋をした時から、そういうのもみんな、書いて持っていきました」と話した。
大切な友人を陰ながら支えてきた大津さん夫妻。
定美さんは「(今後のスー・チーさんについて?)ミャンマー政権は、スー・チーの西側(諸国)との良い関係を利用しようという、この意図は明白ですよね。でも僕は、スー・チーは利用されるだけじゃないと」と話した。
大津さん夫妻は、アウン・サン・スー・チーさんの歩みを、これからも見守り続ける。
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