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特別リポート:急接近する日本とミャンマー、投資加速の舞台裏

Written By Ngakawa Kyaw on Friday, October 5, 2012 | 2:13 AM


10月5日、急ピッチで動き始めた日本のミャンマー進出、きっかけは2011年10月、ミャンマーのテイン・セイン大統領と日本の元政治家の会合にさかのぼる。写真は中曽根康弘元首相の側近だった渡辺秀央氏。8月撮影(2012年 ロイター/Yuriko Nakao)


急ピッチで動き始めた日本のミャンマー進出、きっかけは2011年10月、ミャンマーのテイン・セイン大統領(67)と日本の元政治家の会合にさかのぼる。

大統領は公邸での晩餐後に地図を広げ、マカオほどの大きさの場所を指差した。半世紀にわたり軍事政権が続いたミャンマーは、この約半年前に民政への一歩を踏み出したばかり。民主化指導者アウン・サン・スー・チー氏との和解や経済開放を進めた大統領は、海外から投資の呼び込みを狙っていた。

大統領は元政治家のほうを向き、こう提案した。ミャンマー最大の都市ヤンゴン近郊のティラワ経済特区を日本が開発しないか、資金はそちら側が用意する──。「大統領には、何か考えると伝えた」と、元郵政相で、中曽根康弘元首相の側近だった渡辺秀央氏(78)は振り返る。

それから1年弱、日本は官民で少なくとも180億ドル規模の支援、投資、債権放棄を行うことを決めた。さらにティラワとは別の経済特区ダウェイの開発に対し、官民で最大32億ドルを融資することもロイターの取材で明らかになった。東南アジア最大の工業団地を開発する計画だ。

こうして日本は瞬く間にミャンマー投資の主役に躍り出た。ティラワ・パッケージの金額は、債権放棄やリファイナンスなど金融支援だけでも50億ドル近くに上り、2011─12年の米国による支援7600万ドル、2年間で2億ドルを拠出するとしている欧州連合(EU)を大きく上回る。

それまでミャンマーへの投資に慎重だった日本は、いかにして頭一つ抜け出すことができたのか。ロイターは交渉にかかわった両国の当局者や企業関係者、政治家50人以上に取材。彼らが口を揃えて語ったのは、ミャンマーと深く結びついた少数の関係者が日本の官僚や援助機関に働きかけ、決定プロセスを速めたということだった。

しかし、アジア最後のフロンティアであるミャンマーには各国が関心を示している。10月11日にはミャンマー支援に関する初の国際会議が東京で開かれ、世界銀行などの国際機関や日米など約30カ国が参加する。性急な投資の決定には、リスクも伴う。ミャンマーへの投資はまだ始まったばかり、いずれ日本の優位が揺らぐ可能性もある。

<先行する日本、米国の思惑>

長らく中国に依存してきたミャンマーは、その巨大な影響力をけん制できる友好国を求めていた。しかし欧米諸国は1990年代に導入した経済制裁の緩和に慎重な姿勢を崩してこなかった。日本にとっては幸運だったと、大和総研とミャンマー経済銀行の合弁会社、ミャンマー証券取引センター(MSEC)の稲見成人社長は話す。「米国が金融制裁してくれたから、米欧は金融機関がミャンマーに入って来なかった」。

それでも欧米の外交当局は、日本がミャンマーでの存在感を高めていることについて、必ずしも自国の企業に不利とは見ていない。米国務省の高官によると、そもそも米国はミャンマー経済や政権内の改革派を支援するため、日本を含む同盟諸国にミャンマーへの投資を要請していたという。

ゼネラル・エレクトリック(GE)<GE.N>やコカ・コーラ<COKE.O>など、一部の米大手企業はすでにミャンマーへの投資を再開。また、複数の業界アナリストは、GEや独シーメンス<SIEGn.DE>といった欧米の重電大手、ベクテルやバルフォー・ビーティー<BALF.L>といった建設大手が、ティラワのプロジェクトで日本から下請け契約を獲得する可能性を指摘する。

米商工会議所で東南アジアを担当するジョン・ゴイヤー氏は「何年も前から多くのライバルがミャンマーで活動している。我々はゲームに乗り遅れている」と話す。その一方で、「ミャンマー側は明らかに米企業を誘致したいと考えているようだ」とも語る。

<歴史的なつながりで有利に>

日本の素早い動きには、リスクも伴う。事業に参加する日本企業は、米国のブラックリストに載ったミャンマーの大物とかかわらなくてはならず、イメージを損なう恐れがある。さらに日本は、ティラワ経済特区の土地所有権が明確にならないまま、開発を約束した。2400ヘクタールにおよぶ予定地には今も水田が広がり、湿地を埋め立てる砂利をトラックが運び、労働者がかごの中に泥をかき集めている。「われわれの新たな黄金郷へようこそ」──。元ミャンマー政府当局者のミイントU氏は、緑が広がる平野の中に車を走らせながら語った。

しかし日本企業の幹部は、リスクも大きいが、リターンはそれ以上に大きいと考えている。丸紅<8002.T>の市場業務部部長代理兼アジア大洋州チーム長、森本康宏氏は「問題点を書き出したら、50行も、60行も書き出すことができると思う」と言う。その上で、リスクを上回る潜在的な利点があると話す。

ミャンマーは長年、投資先として有望視されてきた。面積は英国とフランスを合わせた広さ、国境は世界の人口の4割を占めるインドと中国、バングラデシュ、タイと接している。さらにインド洋とアンダマン海に面する港は、海上交通の要衝であるマラッカ海峡の北部に位置している。

そのミャンマーに対し、中国は2011年3月までに官民で140億ドル超の投資を行うことを約束するなど、最大の支援国であり続けてきた。外国からの投資総額の7割近くを占める計算だ。一方、日本企業の投資総額は1988年から2011年まででわずか2億1200万ドルにすぎなかった。

しかし日本には、歴史的なつながりという強みがある。日本は第2次世界大戦中のミャンマーを占領したにもかかわらず、両国の関係は非常に良好に推移してきた。ミャンマーは戦後、東南アジアの国としては初めて日本と平和条約と賠償・経済協力協定を結んだ。中国や韓国と違い、歴史問題でも日本を痛烈に攻撃することを避けてきた。

一方の日本は、ミャンマーに対して経済制裁を行わなかった。その結果、日本企業の存在感は大きく、三菱UFJフィナンシャル・グループ、三井住友フィナンシャルグループ、みずほフィナンシャルグループのメガバンクはヤンゴンに支店がある。銀行のある幹部は、ようやく収穫の時期がやってきたと述べた。

<日本側の中心人物>

元郵政相の渡辺氏がミャンマーとの交渉で中心的な役割を果たしたのは、両国に深い人脈を持つためだ。渡辺氏が最初にミャンマーとかかわったのは1987年、中曽根内閣の官房副長官として、軍事政権の首脳を東京で迎えた時に始まる。軍事政権が学生の抗議活動を抑え込み、その後にアウン・サン・スー・チー氏を自宅軟禁にした際も、中曽根氏は渡辺氏に対し、日本とミャンマーの非公式のつながりを強めるよう求めた。

ミャンマーが国際社会から孤立しても、この国に対する渡辺氏の支持は揺るがなかった。同氏が今年立ち上げた日本ミャンマー協会のウェブサイトには「(ミャンマーは)国内治安安定のためやむをえず軍政になった」と書いてある。

渡辺氏がテイン・セイン大統領と出会ったのは1996年。ミャンマーに医療機器を届けた際、当時地方の軍幹部だったテイン・セイン氏と知り合った。ゴルフに誘われた渡辺氏は「彼はゴルフが上手かった。軍服を着てりりしかった」と振り返る。

<後手に回った日本の外交当局>

渡辺氏の個人外交は、日本の外交当局の動きよりもたびたび先行した。渡辺氏がテイン・セイン大統領に日本の支援と投資を約束した昨年10月21日、東京では日本の玄葉光一郎外相がミャンマー外相を夕食会に招待した。同様の会合は16年ぶりで、玄葉外相はミャンマーが民主化で「本質的な進展」を見せれば、日本から投資を行うことを約束した。

一方、渡辺氏はこの日の夜、テイン・セイン大統領の公邸でミャンマーの地図を眺めていた。そして日本からの投資について、全く異なるシグナルを送っていた。大統領は渡辺氏に対し、タイと進めているダウェイ経済特区の開発がうまくいっていないと説明。さらに地元住民の抗議を受け、中国資本の水力発電プロジェクトを差し止めたことも明らかにした。「大統領は『渡辺さんにこれはどうかというものがある』と話し、秘書に書類を持って来させた」と、渡辺氏は言う。「こうしてティラワの件を紹介された」。

東京に戻った渡辺氏は玄葉外務相と接触し、「年内に外相が正式にミャンマーに行き、ティラワの提案について具体的に検討しますと言うべきだ」と伝えた。「そうしなかったら日本のものにならない」。

さらに玄葉外相にプレッシャーをかけるため、渡辺氏は枝野幸男経済産業相に対し、民主党の実力者である仙谷由人元官房長官とともにミャンマーを早いうちに訪問するよう説得した。「もし経済産業相が外相よりも先にミャンマーを訪問したら、玄葉外相はメンツがつぶれる。だから玄葉外相は昨年12月にミャンマーを訪れることになった」と、渡辺氏は明かす。

<37億ドルの債権放棄>

渡辺氏は今年3月、日本ミャンマー協会を設立した。中曽根康弘元首相や麻生太郎元首相、元官僚、丸紅や三菱商事<8058.T>の幹部が役員に名を連ねるこの協会ができたことで、ミャンマー支援に向けた計画作りが動き出した。

また、渡辺氏は財務省とのつながりを生かし、ミャンマーに対する債権の放棄を働きかけた。同省は今年4月、ミャンマー向け債権の6割超を放棄すると発表。渡辺氏は全額放棄を求めたが、パリクラブ(主要債権国会議)が反対したため実現しなかった。

支援計画の策定に携わった複数の関係筋によると、日本側は37億ドルの債権放棄で合意したほか、三菱東京UFJ銀行率いる日本の銀行団を通じ、9億ドルのつなぎ融資を実行することなどを決めた。

国際通貨基金(IMF)の関係者は「日本が債権放棄を決めたスピードに非常に驚いていた」と、交渉に直接関与した日本の関係者は話す。日本は他国に対しても、ミャンマーの改革を促すには債権放棄が最良の方法だと説得しており、10月11日に東京で開かれる国際会議でも主要テーマの1つにのぼる見通しだ。

<ブラックリストの実力者>

枝野経済産業相や民主党の仙谷氏、中曽根元首相らは今年3月、ミャンマー側のビジネスパートナーと対面した。商工会議所連合会のウィン・アウン会頭、米国のブラックリストに載る人物だ。

ウィン・アウン氏は日本ミャンマー協会の発足式に出席するために来日、「ミャンマーの発展にとって、工業化は極めて重要だ」とスピーチした。「枝野経済産業相が(ティラワへの)支援を表明してくれて非常に幸せだ」。

ウィン・アウン氏は複合企業、ダゴン・インターナショナルの社長でもある。同社はミャンマーの新たな首都ネピドーの建設を受注した8社のうちの1社だ。内部告発サイト「ウィキリークス」が公開した米大使館公電によると、同氏は軍部とのつながりから獲得した契約をもとに、保護区域で違法に木材を伐採、中国に輸出したとされる。

同氏に電子メールでコメントを求めたが、返答はなかった。米財務省は自国民に対し、同氏とのビジネスを禁じている。

ウィン・アウン氏はティラワの開発にあたり、ミャンマー側の企業連合を選ぶ立場にある。

関係者によると、木材からゴムのプランテーション、建設まで幅広い事業を手掛け、軍事政権と緊密な実業家ゾー・ゾー氏がコンソーシアムに参加するとみられている。同氏も米財務省のブラックリストに載っている人物で、日本から中古車をミャンマーへ輸出することで富を築いた。同氏の「マックス・ミャンマー」ブランドのトラックや広告は、ティラワ地区で頻繁に見かける。

<スー・チー氏の態度>

渡辺氏のほかにも、日本とミャンマーの急接近を支えた人物がいる。日本財団の笹川陽平会長だ。

笹川会長も長らくミャンマーに関心を持ち続け、渡辺氏や仙谷氏とともに、7月にネピドーで行われたセイン大統領との交渉にも参加。軍事政権と長らく対立している少数民族の居住地域で、慈善活動を行うことを提案した。

その1カ月後、日本とミャンマーの間で基本合意が成立。ミャンマー側は企業連合の構成など詳細を詰めている。一方、日本側はインフラ計画の草案を作成中だ。

アウン・サン・スー・チー氏率いる国民民主連盟(NLD)は、日本からの投資が政治的にテイン・セイン政権の得点になることは心配していないとしている。

スー・チー氏は現在、外国からの投資を支持しており、欧米諸国に対して一段の制裁緩和を求めている。

NLD中央執行委員会のハン・サ・ミイント委員は「われわれが最も気にしているのは、こうした投資や支援が国民の利益につながるかどうかだ」と話す。

東京の事務所でインタビューに応じた渡辺氏は、日本がミャンマーに対する投資を急ぐことのリスクについて問われると、肩をすくめた。「不安のある企業は来なければいい。それは自由だ」。

〔ティラワ経済特区、世界から工場を誘致〕

日本によるミャンマー投資計画の中心、ティラワ経済特区。面積は2400ヘクタールにおよび、ミャンマー最大の都市ヤンゴンと、インド洋に近い要衝に位置する。

計画に詳しい複数の当局者によると、日本はインフラ整備に1兆円前後を投じる見込みだ。三菱商事<8058.T>と丸紅<8002.T>、住友商事<8053.T>はミャンマー側と合弁会社を設立し、49%を出資する。

2015年までに450ヘクタールの工業団地を建設し、日本のほか世界各国から工場を誘致する。ミャンマー議会は、外国からの投資に関する新たな法案を審議中。経済特区管理法の改正作業も行っている。

問題は、深刻な電力不足だ。ミャンマーでは電力の人口カバー率がわずか4分の1。丸紅は、ティラワやヤンゴンに電力を供給する500メガワットの発電所の建設に参加する方針。同発電所向けの日本側の投資額は約9億ドルに達する見込みだ。

日本は南部のダウェイ経済特区にも投資する。完成すれば、ここは東南アジアで最大の工業団地になる。

(By Antoni Slodkowski;Additional reporting by Jason Szep and Aung Hla Tun in Yangon, Sebastian Moffet in Brussels, Andrew Quinn in Washington, Martin Petty in Bangkok; Editing by Kevin Krolicki and Bill Tarrant and Michael Williams; 日本語版翻訳 川上健一;編集 関佐喜子、久保信博)
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