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スー・チーさんの24年ぶりの訪英までの道のりを取材しました。

Written By Ngakawa Kyaw on Monday, June 18, 2012 | 7:20 AM

6月18日(月)13時17分配信
ヨーロッパを歴訪しているミャンマーのアウン・サン・スー・チーさんは19日、24年ぶりにイギリスを訪れます。
かつて、イギリス人の夫と家庭生活を営んだイギリスへの「帰郷」がようやく実現するまでには、軍事政権によって夫と引き裂かれた苦しい道のりがありました。

アウン・サン・スー・チーさんが通っていたオックスフォード大学セントヒューズカレッジ。
20日に、アウン・サン・スー・チーさんへの名誉博士号の授与式が予定されていて、大学では、歓迎の準備が進められている。
学生は「とても楽しみです。スー・チーさんを迎えるため、学内の壁も塗り直されました」と話した。
勉学に励んでいた、およそ40年前の1972年、アウン・サン・スー・チーさんは、イギリス人学者のマイケル・エアリスさんと出会い、結婚した。
友人の広瀬洋子放送大学教授は、この時、2人は「ある約束」を交わしたという。
友人の広瀬さんは「(アウン・サン・スー・チーさんは)『ビルマの国民が、わたしを必要とするときが来て、何かわたしが動くときがあったら、それを許してほしい』と。マイケルは、それを承諾して、スーと一緒になったんです」と話した。
その後、互いに支え合う、良き夫婦となった2人。
広瀬さんは「(マイケルは)スー・チーさんを本当に大切にしてたわね。『またスーに怒られちゃった』なんて言って、おちゃめに笑ったりするようなところがあった」と話した。
しかし、アウン・サン・スー・チーさんがビルマで軟禁されると、生活は一変した。
イギリスに残ったマイケルさんは、2人の息子の子育てや、慣れない家事に悪戦苦闘し、その一方で、アウン・サン・スー・チーさんのことで胸を痛め続けた。
広瀬さんは、「(1995年の来日時)ふっと力が抜けた時に、『疲れた』と(マイケルが)言って。スーの身の安全、命の保証。それはもう、言葉にできないほど、のしかかっていたと思いますよ」と話した。
妻を解放する手だてを模索していたマイケルさんだが、1999年に、がんで他界。
軟禁中のアウン・サン・スー・チーさんとは、会えないままだった。
マイケルさんは、オックスフォードから北に50km離れた小さな村の墓地で、今も眠っている。
この墓地には、マイケルさんの先祖が埋葬されていて、マイケルさんも、亡くなる2年前に訪れていた。
教会関係者は「マイケルさんの墓石には、妻の名が記されていないので、彼が誰なのか、みんな知らないし、来る人も少ない」と話した。
アウン・サン・スー・チーさんは、今度の訪問で、マイケルさんの墓参りもするとみられている。
広瀬さんは「(アウン・サン・スー・チーさんは)夫の死に目にも会えず、息子たちの一番大切な成長の時期にも、母としての役割ができず。本当に1人で、こもって泣くことが何度もあったと思いますね」と話した。
アウン・サン・スー・チーさんは、ノーベル平和賞の受賞演説で「自宅軟禁の時、もはや自分が、現実世界の一員ではないように感じることが、しばしばありました」と語った。
19日は、67歳の誕生日を息子たちと祝い、21日には、イギリス議会で演説をして、ミャンマーの民主化支援を呼びかける。
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