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インパール作戦とミャンマーブーム

Written By Ngakawa Kyaw on Thursday, March 7, 2013 | 8:39 AM


 首長族の女性と一緒にカメラに収まる筆者。日本企業の進出は気長に待つしかない・・・・・・。
(提供:筆者)

年が明けてミャンマーに出張した。今年のミャンマー動向を見定めるのが目的である。当社ではミャンマーの民主化が本格化する前(2008年)から北東部 シャン州でレアメタルの開発を始めた。当時は軍事政権の締め付けが厳しく、現地人に変装してシャン州の採掘現場まで潜入し、開発に当たった。鉱石の現物を 確認した上で輸送設備や採掘設備などの総額5000万円の先行投資を行った。

中国からのアンチモンの供給が滞っていたので新規ソースの開発が不可欠であったからだ。世界のアンチモンの8割は中国が独占しており、ミャンマー北 部の資源も少数民族が中国に密輸をしているという噂もよく聞いた。ミャンマーの問題は雨期に入ってからの輸送だった。山岳地帯の交通網が遮断されていて貨 物が輸送できなかったのである。やはりミャンマーの問題はインフラ整備である。あまりにも安易に進めたためにアンチモン資源の開発輸入に4年間もかかった のである。

 その時に、日本陸軍が大失敗をしたインパール作戦の戦史を読んで慄然とした。インパール作戦の目的は英米の援蒋ルート(中国国民党への物資供給 ルート)を断ち切ることであったが、補給線を軽視した第15軍司令官牟田口廉也陸軍中将による史上稀な杜撰で稚拙な作戦によって、歴史的な敗北を喫し、最 終的に投入された兵力8万6000人に対し帰還時の兵力は僅か1万2000人に減少したと聞く。

 大本営が退却命令を出した1944年7月10日は、時すでに雨期に入っていた。日本軍の、ぬかるみの中飢えとマラリアによる寒気と英印軍の追撃に苦しみながらの退却は凄惨をきわめた。
 今は産業インフラ道路が続々と開発中である。中国へのガスパイプラインが建設されるほか、バンコクからベトナムに抜ける東西ハイウエイルートも建設中である。

 一方、日本のミャンマー進出ではヤンゴンの南16キロに建設中のティラワ経済特区(2400ヘクタール)に商社連合で住商、丸紅、三菱商事が進出 している。また、スズキも現地生産の再開が本決まりとなった。このティラワからタイの国境を抜けるミャワディが将来は物流の拠点になる。

 バンコクからティラワに行くルートは昔の「泰緬鉄道」であるが、現在はバンコクから西に250キロのダウェイ港に行く南部経済回廊がより便利になりそうだ。ダウェイ港はミャンマー南部にあるが、ここが開発されるとシンガポール港の役割が減少するという観測もある。

 民主化によりミャンマーの資源と地政学的重要性から世界中の投資家がミャンマーに集結している。ここ1年余りでホテル代が3倍に跳ね上がるほどの 過熱ぶりである。新車の輸入も激増しているが、ヤンゴン港に数万台の乗用車が滞貨していると聞いた。国内の交通インフラが不充分であるために走る場所がな いことと、貧富の差が広がっている地方には需要がないためである。

 13年以降もミャンマーの経済は発展すると予見されるが、日本の役割と機能をよく考えなければならない。インフラ開発は日本の役目であるから日本 の産官商の開発力を集約すべきだ。ただ、今回の訪問時にミャンマー政府から日本の訪問客は物見遊山が多く、困っているとよく聞かされた。

 旧軍のケースもビルマに侵攻したまではよかったが、奥地の状況まで把握したわけではなかった。現在の日本の産業界も同じようにミャンマーブームに 乗って安易に進出するとインパール作戦のようにならないとも限らない。歴史は繰り返すというがミャンマーでの悲惨な失敗の歴史は繰り返してはならない。

◆WEDGE2013年3月号より

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