7月28日23時
ミャンマー軍事政権トップのタン・シュエ国家平和発展評議会(SPDC)議長が、25日から5日間の日程でインドを訪問している。インドはかつて、ミャンマーの民主化運動を弾圧する軍事政権を激しく非難した歴史をもつ。しかしミャンマーで影響力を強める中国への対抗上
、同議長を厚遇し軍政との協力姿勢を強調するなど、「世界最大の民主主義国家」が苦渋の選択を迫られている。
タン・シュエ議長は27日、ニューデリーでインドのシン首相と会談し、テロ対策やエネルギー支援、インフラ整備などで協力を進めることで合意した。インドは1640キロにわたるミャンマー国境付近のマニプール州やナガランド州などに、武器や麻薬の密輸を資金源とする反政府武装勢力を抱えており、武装勢力の取り締まり強化に向けて犯罪捜査協約も締結した。
インド紙によると、首脳会談ではタン・シュエ議長から年内に予定されるミャンマー総選挙の説明があった。シン首相は、幅広い国民和解の取り組みと民主化プロセスの重要性を強調したものの、軟禁状態にあるミャンマーの民主化運動指導者、アウン・サン・スー・チーさんの問題など同国の人権をめぐって踏み込んだ発言はなかったようだ。
タン・シュエ議長の訪印は2004年10月以来。議長はあまり外国訪問をしないとされる中、軍服を脱いでインドに5日間滞在する。27日には、インド独立の父で非暴力主義のシンボル、マハトマ・ガンジーの慰霊碑を訪れ、献花した。
インド側も、国賓級の待遇で議長を迎えた。パティル大統領や野党党首など主要人物が相次いで会談し、米欧などが非難する軍政トップを厚遇した。
インドのこうした対応は、かつては考えられないことだった。1980年代後半から90年代前半までは軍政を厳しく批判していたからだ。特に88年の民主化運動の際には、スー・チーさんら民主勢力を支持する姿勢を鮮明にしていた。
スー・チーさんの母がビルマ(ミャンマーの旧国名)の駐インド大使を務めていた60年代、スー・チーさん自身、ニューデリーで暮らした経験をもち、「インド外交当局にはスー・チーさんは『インドの娘』との感情があった」(外交筋)という。
しかし、インドが欧米とともに軍政批判を強めている間に、中国がミャンマーで影響力を拡大した。ベンガル湾に面するミャンマーの港湾では、整備支援などを通じて中国の存在感が高まっており、インドにとっては安全保障上の問題にもなっている。
こうしたことから、インドは少しずつ軸足を軍政批判から関係改善へ移し、2006年にはカラム大統領(当時)がミャンマーを訪問、関係を強化する方針を打ち出した。
今回、インド国内ではタン・シュエ議長の訪問への抗議デモが起きているものの、国内主要メディアはほとんど報じていない。
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